坂口さんとの出会い その2
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- タグ: モノ作り, 坂口昌章, ファッションブランドの作り方
1月と2月誕生日の僕、真己、ちゃみのために、カフェスタッフのまりこさんが自宅でケーキを焼いてきてくださいました(*^_^*)
その他のスタッフもお祝いのメッセージやプレゼントを!!(T▽T)
心優しいスタッフに囲まれて感謝です!
さて雑貨屋をオープンさせるつもりがいつのまにか服屋になちゃった!…というところまでは前回お話ししました。
素人っていうのは怖いですね。
なんせ何も知らないんですから。
でも、素人だから生まれる着眼点や発想というのもあると思います。
素人だからこそ、他の人がやらない事も怖がらずにやってしまいます。
日本でTシャツを作ってみようと思って、ネットで調べて、ある工場に電話した時の事です。
当時はホームページを持っている企業もまだまだ少ない中、インターネットで見つけた四国に、その工場はありました。
僕 「すみません。 Tシャツ作りたいんですけど」
工場 「恐れいります。どのような会社ですか?」
僕 「中華街にお店がある小売店です」
工場 「小売店ですか?恐れ入ります。当社では小売店との取引は行っていません」
僕 「どうすればお付き合いして頂けますか?」
工場 「〇〇か▲▲との取引をして下さい。その商社に伝票を通していただければ取引できます」
僕 「商社を通すという事はそこに手数料が落ちる訳ですよね?
工場 「そういう慣例になっています」
僕 「直接工場に発注して、デザインもパターンもこちらで用意しても商社を通す必要があるのですか?
工場 「それが業界の慣例です」
まあ、上記のようなやりとりがあって、なんだかよく分からないけど、「ギョウカイ」っていうのは、ずいぶん不思議な常識で成り立っているんだなと思い、ひとまず日本でのオリジナルのモノ作りを諦めました。
モノ作りに行き詰まった僕たちは、まず活路を海外に向けます。
海外であれば、業界の慣習や常識も関係なく、お金さえ払えばだいたいなんでもやってくれます。生地を織ってもらう事だって出来るし、ややこしいルールを持ち出してくるメーカーや問屋さんなんて挟まず、工場に直接発注も出来ます。
僕も以前働いていたマキのお兄さんはベトナムに会社を持っていて縫製工場のラインもあったので、お願いをして使わせてもらいました。
海外でのモノ作りは中々快適でした。
ジーンズを作った時の話を以前しましたが、海外だから縫製の技術が低いという事もありません。
ただ、海外生産で行き詰まったのは、やはり難しいパターンや仕様の製品を作る際の「ニュアンス」を伝える事と、納期についてです。
納期が想定していた時期と1ヶ月以上遅れると日本では季節が変わってしまい、売れるものも売れなくなってしまいます。
また、言葉の行き違いからミスもあったりして、その場合には出来上がって来た製品のすべてが間違えてる場合がほとんどです。
やはり国内の生産ルートを開拓する必要があると徐々に考える様になってきました。
ファッションの専門学生が読む様な本をいろいろ買って勉強しました。
川上、川中、川下の事や「ギョウカイ」の慣習について、戦前の繊維業界のこと、戦後のオートクチュールからプレタポルテの流れについてなどは、そうした本から勉強しました。
でも、オリジナルでモノ作りをしたい小規模の店舗がどのようにしたら願いを実現できるのかについてどこにも書いてありませんでした。
店を閉めた後、毎晩の様にサイトや各種テキストやマシンの画面とにらめっこ。
インターネットの検索で、いろいろ調べて行くうちに坂口さんの書かれた論文を見つけました。
そこに書かれていたのは、これまで勉強して来た方法とはまったく異なる方法でモノ作りや小売りをする方法だったのです。
現在のROUROUのビジネスモデルは坂口さんのアイディアを元にしたものです。
続きます。