ルーツ
何度か書いた事がありますが、小さい頃にシンガポールに住んでました。まだ開発される前のシンガポールです。
今のように町も人も文化も整理整頓されておらず、全てが混沌としていました。
マーライオンは今よりも、もっと小さくて、もちろんビルとビルに巨大な船がかけてある建物なんてありませんでした。
まだチャンギー空港さえできていませんでした。
その空港を作るために赴任した父に家族が呼ばれて3年ほど幼少期を過ごしました。
週末も休みも関係なく仕事をしていた父に、空港の工事現場に連れていかれ、滑走路をローラースケートしたり、埋め立て用に積まれたどこかから持って来られた大量の海の砂の中から大きな貝殻を探したのは良い思い出です。
ちょうど息子の陽月くらいの歳でした。
インド人街の裏路地は今よりもっともっと怪しく、市場にはそれでいていろんなスパイスの香りが立ち込め色とりどりの生地であふれていました。
アラブ人街では恰幅の良いターバンを巻いたヒゲモジャの陽気なおじさんにいつも声をかけられました。
チャイナタウンはいつも美味しそうな匂いがしていて、人々は時間に関係なくいつでもご飯を食べてました。貴金属は彼らの仕事です。
マンションから歩いていけるビッグスプラッシュに毎日の様に通い、一年中常夏であることに感謝したものです。
マンションにはイギリス人やオージーの友達がいて、遊び友達はマレー人やインド人でした。子供の遊びに言葉なんて関係ありません。
でも広東語やマレー語、英語の悪口は友達から教わり、すぐにおぼえました。
学校ではポケット歌集と一緒にマレー語歌集が配られました。
夏休みに行くマレーシアの小さな島にはまだオランダ様式の建物がたくさん残っていました。
マンションの裏には戦前からある大きな豪邸が空き家のままになっていて、住人がいなくなって南国の植物にいまにも覆い尽くされそうでした。
あとで調べたら、戦前ユダヤ人の持ち物だった様です。
部屋の窓から見えるそのお城のような建物は子供の空想をかりたてました。
肌の色や宗教、自分たちのルーツにみんな誇りを持っていて、そして互いにそれを尊重しあっていました。
それぞれの文化が混沌と融合し、独特の空気を作り上げていた様に思います。
この小さなころの経験がROUROUのコンセプトや世界観に少なからず影響していると思います。
姉がシンガポールに旅行に行ったそうです。
昨日、報告を聞いていたら記憶が蘇り、久しぶりにシンガポールに行きたくなりました。