雅体のハナシ part2
今日はいい天気でしたね。
近所の梅のつぼみもずいぶんと緩んできました。
開花が楽しみです。
さて、今日もまた雅体のお話の続きです。
古い文献によると、雅体自体はかなり古くから、存在したらしいのですが、
残念ながらそのほとんどが現在は残っていません。
数少ない実在する雅体を残すものとして、約2500年くらい前の
春秋戦国時代、越王(句践こうせん)の持っていた剣に彫られたものが有名です。
この剣は、たった数十年ほど前に発掘されました。
越王の話は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)のエピソードで有名ですよね。
今回の出張で、上海博物館で実物を見てきたのですが、その美しさに
思わず息を呑みました。
その剣は復讐をするために作られたものではなく、復讐が果たせなかった時、
自らの命を絶つ時の為に作られたそうです。
流れた赤い血が補色で美しく見えるように、柄(つか)の部分が鮮やかな緑色の
トルコ石で覆われています。
現在では劣化がかなり進んでしまっていますが、当時はかなり
美しかったのではないでしょうか?
それにしても自らの血を美しく見せるための剣なんて、なんという美学でしょう!
そして、その刃の根元の部分に銘として雅体で越王、
與夷の銘が入っています。
そう、伝説によると越王自らがこの剣を作ったとの事。
復讐を誓い、決意を忘れぬため、毎日座るとき、寝るとき、食事の時にも
捕らわれていた時と同じように、苦い肝を嘗めていたといいますが、
その越王句践はどんな気持ちでこのような美しい剣を作ったのでしょうか?
宝石の様に美しく、ストイックなほど無駄の無いデザインに
復讐の憎悪をまったく感じることはできません。
今では越王の気持ちを知る術はありませんが、研究を進めていけば、
そこに残された雅体の書体や装飾から、その時の思いや考えを読み取ることが
出来ると王さんは言います。
魂を伝える文字、それが雅体なのです。
続きはまた明日。