月別アーカイブ

2026年

2025年

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2007年

2006年

2005年

2004年

2003年

2002年


ブログ検索

ROUROUブルー 椿 着物ワンピース バッグ 旅するROUROU原宿 Oikawakeedaさんワークショップ インドリボン スタッフコーディネート 和柄 レザージャケット クロップト 孔雀 ジュエリー、大阪 受注会 ROUROU Cafe、春節、ダブルハピネス、アジアン ピンタック 15周年 榊原郁枝 トレーナー 原宿 雅体 睡蓮 爆笑問題 制作風景 TODAY`S SHOT! 唐草 広島 テレビ ROUROUモデルになろう! 白なめし革 ボア 16周年限定アイテム 動画 サヘル・ローズ テレビ番組 帽子、一点もの ヨウリュウ,チュニック,蓮唐草 横浜駅西口仮囲いプロジェクト デニムバッグ SPA タオル 手帳 ブルーロータス レーザー 花柄
スタッフ
2005-04-24

思い出 by ノンタン

何度もお話していますが、私は子供の頃、中華街に住んで居ました。
学校には、中国の人、台湾の人、韓国の人、欧米の人、いろいろな国の人がいました。
その子がどこの国の人かなんて知らずに友達になって、後から国籍を知る事がほとんどでした。
だから友達の家に遊びに行くのが大好きで、少しの生活習慣の違いなどが、軽いカルチャーショック
だったり、日本人と同じだなーとか、知らない内に学んでいました。
特に思い出深い友人は、小学校5,6年生の頃同じクラスで、帰り道が一緒だった子です。
彼女の家は、やはり中華街の中にありました。
今でこそ新しいマンションがいっぱいの山下町ですが、当時は古い建物が多く、風情のある街でした。
彼女が住んでいたのは、そんな中の古い建物の一角の部屋でした。
アパートとかと言うわけではなく、本当に事務所などが入っているような建物だったと思います。
お母さんと2人で生活しているようでした。
お母さんは夜遅くまで働いていたようで、私はよく遅くまで一緒に遊んでいました。
そんな彼女はもの凄く性格が良くて、しかも頭が良く、クラスでは一番成績が良かったと思います。
子供ながらに裕福に暮らして居るようには見えませんでしたが、満たされている人という感じがしました。
何故かはすぐにわかりました。
彼女のお母さんが凄く出来た方だったのです。
彼女のお母さんは常々こう言っていました。
「私は財産をこの子に残してはあげられないけれど、勉強だけは教えられる。」
そうなんです。彼女のお母さんもやはり頭の良い人だったのです。
そして、一人でも立派に娘を育てると言う気合いと自信が、伝わって来ました。
私の友人もそんなお母さんを誇りに思っているようでした。
良い親子だなーと思いました。
世の中にはお金で得られない物があるんだなと、子供の私に教えてくれたのは彼女達だったのかも。