PRAY FOR PARIS
なるべく政治的な事は話題にしないように心がけています。
人それぞれ信条や考え方は違うものだし、その多様性こそが世の中のすばらしい部分で
あるとも言えるし、考え方の違いを争う事で生まれるものは無いと思うからです。
でも、今回のパリの事件ばかりは本当に胸が痛み、家族や知人とも話題にする事が増えました。
昨日たまたま都内でワインの会合がありました。
たまたまワインに詳しい先輩に誘われて年に一度くらい顔を出すのですが、
セレブの方ばかり集まるので毎回参加するたびに場違いで居心地が悪く、
お尻がこそばゆい思いをしています。
フランスワインの会なので、同然メンバーにも運営役員にもフランス人が多く参加しています。
昨日はフランス大使館の公使の方が参加していましたが、領事が参加される事もあります。
タレントのフランソワーズ・モレシャンさんも出席されていて、参加者への感謝の気持ちなど、
一通りの挨拶をしたあと、パリの事件について話し始めました。
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「今ここの会場にちょうど130名の方が参加されています。
パリではちょうどこの人数の方々が犠牲になりました。
今もパリは次のテロが準備されているという情報もあります。
しかし、市民はこれまで通り、普通に生活しています。
路面に面したカフェで普通にコーヒーを飲みながら友人と会話を楽しみ、
予定通りコンサートに行き、レストランはこれまでと同じ様に食事やワインを
楽しむ人たちで賑わっています。
でも、これはパリジャンやパリジェンヌたちが呑気な訳ではありません。
テロリスト達に対し、私たちはテロに屈っする事無く、これまで通りの生活をし続けるという
誇りを持ったレジスタンスなんです。」
会の主催者からの提案で参加者全員で黙祷をしました。
この悲劇のすべての発端は中東にあります。
第一次湾岸戦争の後、中東に興味を持ち、学生の時の卒業旅行に中東を選び、
シリアにも行った事があります。
トルコから高速バスに延々と揺られ、陸路でシリアのアレッポに入りました。
この国境付近は今世界でもっとも緊迫した激戦地のひとつと言っても
良いのではないでしょうか?
湾岸戦争後のピリピリした雰囲気はありましたが、直接の戦火にならなかった
シリアは当時、とても平和な国でした。
バザールはたくさんの物資や人で賑わい、好奇心旺盛なシリア人が珍しく見る
アジア人に声をかけては親切にしてもらいました。
道を歩いていて、お茶やご飯をごちそうになった事も一度や二度ではありません。
下の写真は今ではイスラム国の支配下に置かれているパルミラ遺跡です。
ローマ式の円形劇場や、浴場、四面門など、ローマ帝国時代の建築の影響を受けたすばらしい遺跡でした。
今は破壊されてしまい、跡形もないようです。
どうしてこういう風になってしまったのか、悲しい気持ちでいっぱいです。
僕はご存知の様に小さい頃、シンガポールで過ごしました。
様々な国や宗教、肌の色の違う人たちが争う事無く暮らしていました。
僕自身、近所の友達はインド人もマレー人も西洋人も中国人もいました。
そんな経験が朧朧国のコンセプトづくりに少なからず繋がっていると思います。
ー精神的にも文化的にも進化した争いの無い理想郷ー
こんな時代だからこそ、ROUROU-izm を大切にして行きたいです。