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ボス
2013-06-01

神様が神様になった日

たしか、ちょうど去年の今くらいの時期だったと思います。
その日、梅雨入り前後の蒸し暑い中日、いつものように銀行まで
歩いていて、電話を取りました。
「邱永漢先生が亡くなられたそうです…」
電話の向こうから聞こえて来ました。
頭を何かで殴られたような…なんて表現をよく小説とかで見かけますけど、
本当にそんな感じでした。
3月末の誕生会まではお元気だったのに…
知ってる人もいるかもしれませんが、僕は少しの間
邱先生に商売を教わっていました。
教わっていたなんて言うと、ビジネススクールみたいですが、
ビジネススクールというよりは先生の仕事を少しお手伝いしながら
商売の事とかお金の事とかを教わっていました。
教わった事が全然役に立っていないのは、いまの僕を見てもらえれば
お分かりの通りです。(^_^;)
当時10人から12人くらいの僕の世代の若者が先生の事業を手伝って
いたのですが、僕は末席を汚していた…というよりも、間違いなく
一番の落ちこぼれだったと思います。
その他の方々はみなさん各ジャンルで国際的に活躍しています。
あ、もしかしたら邱永漢さんの事をしらない方もいるかもしれませんね。
台湾出身の直木賞作家で、お金の神様とか、商売の神様とか呼ばれた人です。
詳しくはGoogle先生に聞いて下さい。
先生は77歳で死にたいと思っていたそうです。
本まで出されています。
77歳は喜寿。数字が重なるのは日本でも中国でも縁起がいいから
きっとそう思われていたんだと思います。
77歳までは産業界のトップの方達や国を代表する政治家たちと
おつきあいをしたんだそうです。
先生のご自宅に招かれてよく食事をしたのですが、食事の途中
「ほら、君のその座ってる席、田中角栄がいつも座ってた
席だよ」とか、「この料理、本田宗一郎さんが好きでねー」と
よくエピソードを聞かせて下さいました。
今は日本を代表する世界的企業も、先生がビジネスを手伝った頃には
まだ小さな町工場(ホンダやトミカ)だったり、ちょっと珍しい
小さな薬屋(ダイエー)だったりしたそうです。
先生は77歳で死ぬつもりでいましたから、すべての仕事を77歳で
終わる様にスケジュールを組んでいました。
新聞や雑誌の連載も77歳で終わる様にして、資産や事業も譲渡したり
処分したりしたそうです。
ところが、77歳になってみても死なない。
ピンピンしてる。
だから、残りの人生は神様からもらった「オマケ」みたいなものだから
まったく新しい事に挑戦しよう、と思ったそうです。
だから、産業界や政治のトップの人たちとのこれまでの付き合いを
いっさいがっさい、すっぱりやめてしまって、まったく無名の若者と付き合って
「見込み」があれば、そうした若者にビジネスを教えこもうと
思ったんじゃないかと思います。
商売を教わるために、足を運んでいるうちに中国のあちこちに
ご一緒する機会をいただきました。
ROUROU上海店を出す際には出資もしてくれました。
洋服屋の僕にカフェやケーキ屋の経営までさせてくれました。
めちゃくちゃだったですが。
上手く行かない事を報告すると、「最初は誰でもみんな
素人なんですよ」と笑って励ましてくれました。
あまり業績のあがらないROUROU上海店を閉めて、邱先生の
ビジネスのお手伝いを辞める時、先生は自分が当時手がけていた
事業のいくつかに僕を誘ってくれました。
僕の様な小さな頭では想像もできないほど大きな事業規模に
怖じ気づいて結局断りましたが、会って食事をする度に誘ってくれました。
洋服屋は儲からないから止めた方が良い、とアドバイスされました。
それでも、洋服屋にこだわってる僕を見て、ある食事会で
「何でも聞きたい事を聞いてごらんなさい」とユニクロの柳井さんと
同じテーブルに座らせてもらいました。
失敗ばかりする僕を見て、「失敗は成功の母、 偶然は成功の父ですよ」
と言い、偶然に成功しちゃう事だってあるんだから、まずは失敗を恐れるなと
教わりました。
何百億のお金をポンと動かす人なのに、一円でも無駄にしない人でした。
お金の大切さを教えてくれました。
時間の大切さも教えてくれました。
「だって、時は金なりって言うでしょ」といつも言ってました。
お金や時間を少しでも無駄にすると、ものすごく叱られました。
学歴とか地位とか会社の大きさとか年齢とか国籍とか
いっさい気にしない人でした。
「僕は東大出たけど、東大というところは、馬鹿ばっかりだったよ」と
笑ってました。
政治家や大企業の社長にも僕や若い人に対する態度と
まったく一緒でした。
3日に一度飛行機に乗り、世界中を駆け回ってました。
睡眠はいつも3-4時間でした。
一緒に同行すると僕の方はいつも寝不足でした。
「死んだらいっぱい休めますから」と
口癖の様に言ってました。
77歳で死ななかった先生は88歳の米寿で天国に行きました。
お金の神様が、本物の神様になって、一年。
じっとしている事が何より苦手な先生が、天国でゆっくり休んでるのか、
聞いてみたいところです。
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